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発達はどこからが「障害」なのか ?

2019年06月04日 · コメント(0) · 仕事, 社会精神医学

「仕事が長続きしない息子に、発達障害の検査をお願いします」

クリニックで勤務していると、こうした相談を受けることが少なからずあります。

昨今、発達障害(の診断件数)は増加の一途をたどっているわけですが、

「では、どこでその線引きを行なうのか」については、まだまだ曖昧な点も多いのです。

今日は、この発達障害の診断について、少し他とは異なる視点で書いてみたいと思います。

そもそも、精神の障害(異常)とは、一体誰が何をもって認定するのか。

もちろん、医療上は精神科医が診断や告知をする役割を担っているわけですが、

その障害を認定する根拠については、担当医の医学的な知識ではなく、

診断を受ける方が身を置く「社会や文化」に拠るのです。

例えば、農家の方が豊作を祈願して、祭壇にウサギと羊の生贄を捧げたなら、

古代の呪術的な文化では正常とみなされますが、現代社会では「妄想状態」と診断されます。

また、「いつか人を斬ってみたい」といった思想を持つ小学生も、

戦国時代であったなら「頼もしい少年」かもしれませんが、現代社会においては「素行障害」と診断されうるのです。

つまり何が言いたいのかと言うと、発達障害を含む精神の障害や異常を認定するためには、

診断をくだす側の人物が、対象となる方の置かれている社会や文化、生活背景などを十分に理解していることが求められるのです。

冒頭の質問に戻るのですが、昨今において「仕事が続かない」という症状(状態)は、果たして本当に発達障害を疑わせるものなのか。

もちろん答えはケースバイケースではあるのですが、

「年功序列や終身雇用は崩壊した」と言いながらも、国内の大手企業では未だその名残は多分に残っており、

わりを食うのはいつだって社会に出て間もない若者です。

また、駅の構内やネット上には、転職会社の広告がこれでもかとばかりに掲載され、彼らの勤労意欲を剥ぎ取るのです。

こうした現代の日本において、「仕事を辞めずに続けている」なんて若者の方が、私はむしろ特異的な印象を受けますし、

仮に、発達にいくばくかの障害を抱えていたとしても、これが平成の中頃までの時代であったなら、

「採用されたからには何かしらの続けられる仕事が用意され、発達障害と診断されることは起こりえなかった」

という構造を、多くの方に知って頂きたいのです。

(プラセボのレシピ:第371話)

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