「自分を大切にしない人は、他人からも大切にしてもらえない」
今日は、このことについて前回のとは少し違う視点から考えてみたいと思います。
なぜ、あなたは彼の事が好きなのでしょうか?
人は、様々な理由で恋をします。女性が100人いればそれこそ100通りの恋の形があるはずです。しかし、多くの場合「人が人を好きになる過程」は以下のパターンで進んでいくのです。
1.好意は。自分と似ている所から始まる。
人は、自分と似ている人に安心感を覚えます。仕事でも趣味でも、また好きな食べ物なんかでも、とにかくお互いに共通点があると人は相手に親近感を覚るのです。
そして「自分と似ている人なら自分を理解してくれるはずだ」と考え、好意を抱くのです。よく「夫婦は顔が似てくる」などと言いますが、実は、始めから外見の似ている人同士が結婚したに過ぎないのです。
2.恋は、自分とは違う所から生まれる。
共通点から生まれた好意は、相手が「自分には無い物」を持ちあわせていると、そこから恋に発展するのです。「同僚の男性が仕事に賭ける想いを語るのを聞いてキュンと来た」なんてエピソードはよく聞く話です。
「自分と似ていると思っていたら、実は○○でビックリした」こんな状態こそが、実は恋の始まりなのです。
しかし「自分を大切にしない人」の恋のパターンはこの形からは外れます。
どう、外れるのかというと彼女はいきなり[2]から入るのです。なぜでしょうか。それは、彼女が「自分のことが好きではない」からです。
見た目だったり性格だったり。それはその人によって異なるのですが、ただそういった理由から彼女は「自分と似ている人」を避けるのです。そして、ではどんな[2]を求めるのでしょうか。
それは「自分のコンプレックスを埋めてくれるような相手」を求めるのです。
・学歴にコンプレックスがあれば高学歴な人を
・体型にコンプレックスがあればスリムな人を
・ルックスにコンプレックスがあればイケメンを
このような形の恋は、はたかた見ると普通の恋とさして変わりはないのですが、その『結末は大きく異なる』のです。
そもそもコンプレックスとはなんなのか?
「人は短所で悩む」と考えている人は多いのですが、実はちがいます。
人は、短所でなく長所で悩むのです。例えば、僕は中国語が話せない事に対してなんのコンプレックスもありません。しかし、英語がペラペラな同僚に対しては、少なからずやっかみを覚えます。
なぜでしょうか。それは、僕が少なからず英語が話せるからです。つまり、分りやすく言うならば「1.5流の人が1流の人に憧れる」。これがコンプレックスの正体なのです。
自分を好きでない人は、「自分のコンプレックス埋めるため」に恋をする。
彼女にとって、付き合うこととは「自分のコンプレックスを克服する手段」なのです。
そして、もし相手からふられようものなら、それは「過去の自分に逆戻り」する事を意味するのです。
こうした状態はもはや「恋」ではなく「依存」と表現したほうが適切かもしれません。
一緒にいるときは「尽くしている」と考え、自分の心をおし殺してでも相手の言いなりになってしまう。
しかし、彼に会えない時間が続くと、今度はとめどもない不安からアルコールやドラッグにおぼれたり、または複数の男性と関係を持ったりと、直接的にも間接的にも自分を傷付けてしてしまうのです。
僕の診察室には、たくさんのこうした女性が訪れます。
彼女はいつだって「自分を好きになれない」「彼から優しくして貰えない」と訴えるのです。悲しい生い立ちの人も少なくありません。なぜ、彼女はいつも恋愛で苦しんでしまうのでしょうか。
それは、前回お話した通りです。そう、彼女の「窓」は割れているのです。では、そういった人はどうすればいいのでしょうか。
僕はいつだって、精一杯の言葉で「自分を自分の子供のように」と伝えているのです。
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