「プロは結果が全て」という言葉がありますが、スポーツに関して、これは必ずしも正解とはいえません。
なぜなら、プロスポーツとは「チケットを売るためのショービジネス」だからです。
こうした傾向は格闘技の分野において顕著であり、たとえどんなに勝率が高くとも、盛り上がりに欠ける試合や、判定勝ちばかりの試合を続けたなら、徐々に試合を組んで貰えなくなり、ついには出る舞台が無くなってしまうのです。
もちろんその理由は、つまらない試合(ショー)を観るために会場へ足を運ぶお客さんなどいないからです。
逆に、選手としてどんなに弱かろうと実績がなかろうと、知名度のある元プロ野球選手や、元力士、芸能人であれば、「観たい」という客層がいる限り、大晦日にTV中継されるような舞台(ショー)に立つこともできるのです。
こうした話は野球やサッカーでも同様です。すでに競技者としてのピークが過ぎていたとしても、その選手の存在が集客に繋がるのであれば、または協賛するスポンサーが増えるのであれば、レジェンドとして試合に出続けることができるのです。
つまり、プロスポーツにおける選手の価値とは「結果が全てではなく、継続的な集客力が全て」なのです。
一方、アマチュアスポーツはというと、こちらは「勝ち負け(結果)が全て」となるのです。「イケメンである」「ミラクルプレーをする」、こうした理由でどんなに会場が埋まったとしても、選手は試合に勝てなければ次の試合に進めませんし、人気を理由に試合が組まれることもないのです。
また、これが個人競技でなく団体競技であったなら、勝利に貢献しない(と監督が判断した)選手はレギュラーから外されてしまうのです。
つまり、アマチュアスポーツにおける選手の価値とは「試合における結果だけが全て」なのです。
学校の運動会ではきまって「選手宣誓」がなされますが、なぜ野球でもサッカーでも、生活のかかっているプロではなく、アマにおいて「選手宣誓」はなされるのでしょう。
その答えは、アマチュアスポーツには「正義は勝つ」ではなく「勝った方が正義」となりうる仕組みが、いつだって根底に眠っているからだといえるのです。
プラセボのレシピ:第340話
※ 6/16日(土曜日)、著者が「性依存症」について学会発表をします。
http://jssm.or.jp/10thmeeting/
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