プラセボのレシピ

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失敗が許されないのは、プロかアマか

2018年05月24日 · コメント(0) · 仕事, 学習、教育、子育て

「プロは結果が全て」という言葉がありますが、スポーツに関して、これは必ずしも正解とはいえません。

なぜなら、プロスポーツとは「チケットを売るためのショービジネス」だからです。

こうした傾向は格闘技の分野において顕著であり、たとえどんなに勝率が高くとも、盛り上がりに欠ける試合や、判定勝ちばかりの試合を続けたなら、徐々に試合を組んで貰えなくなり、ついには出る舞台が無くなってしまうのです。

もちろんその理由は、つまらない試合(ショー)を観るために会場へ足を運ぶお客さんなどいないからです。

逆に、選手としてどんなに弱かろうと実績がなかろうと、知名度のある元プロ野球選手や、元力士、芸能人であれば、「観たい」という客層がいる限り、大晦日にTV中継されるような舞台(ショー)に立つこともできるのです。

こうした話は野球やサッカーでも同様です。すでに競技者としてのピークが過ぎていたとしても、その選手の存在が集客に繋がるのであれば、または協賛するスポンサーが増えるのであれば、レジェンドとして試合に出続けることができるのです。

つまり、プロスポーツにおける選手の価値とは「結果が全てではなく、継続的な集客力が全て」なのです。

一方、アマチュアスポーツはというと、こちらは「勝ち負け(結果)が全て」となるのです。「イケメンである」「ミラクルプレーをする」、こうした理由でどんなに会場が埋まったとしても、選手は試合に勝てなければ次の試合に進めませんし、人気を理由に試合が組まれることもないのです。

また、これが個人競技でなく団体競技であったなら、勝利に貢献しない(と監督が判断した)選手はレギュラーから外されてしまうのです。

つまり、アマチュアスポーツにおける選手の価値とは「試合における結果だけが全て」なのです。

学校の運動会ではきまって「選手宣誓」がなされますが、なぜ野球でもサッカーでも、生活のかかっているプロではなく、アマにおいて「選手宣誓」はなされるのでしょう。

その答えは、アマチュアスポーツには「正義は勝つ」ではなく「勝った方が正義」となりうる仕組みが、いつだって根底に眠っているからだといえるのです。

プラセボのレシピ:第340話 

※ 6/16日(土曜日)、著者が「性依存症」について学会発表をします。
http://jssm.or.jp/10thmeeting/

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