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目的と手段の混在化

2011年09月01日 · コメント(0) · お金

「お金」とは何か。誰しもが一度は考えた事がある問いである。

様々な側面をもっているこの「お金」であるが、その一つとして 「自由をもたらすもの」と表現する事ができる。

なぜならば、現代においての悩みの多くは「お金で解決できてしまう」からである。

例えば「仕事の悩み」で言えば、上司や取引先とそりが合わなかろうが、仕事内容が自分に向いてなかろうが、全て「会社を辞めてしまえば」解決できてしまう。しかしそれができな理由はもちろんお金である。お金のために今の職場を離れられないのである。

地域や隣人トラブルで悩んでいる場合も、理想の場所へ引っ越す事さえできれば即座に悩みは解決する。

理不尽な夫と離婚できない妻のケースも、お金の心配さえなければすぐさま離婚するであろう。

我々にとって、 「自由」を獲得するために「お金」とはかけがえのないものなのである。恋愛ですら「自由になる」と豪語する者もいるほどだ。(正確には、「お金で自由になる人」を「自由」にできる、と言うべきであろうが)。

お金があれば、才能が皆無の私でも「歌手」や「画家」になれるのである。好きな仕事、本当にやりたい仕事に就けるのだ。

 以上のように「お金」は人を自由にする強力な力がある。しかし、人はこの「お金の為」に働き出すと、人生の方向性に狂いが生じる。自由になるためのお金を得るために、不自由な人生になってしまうのだ。なんともおかしな話である。したくもない仕事をしたり、例えば「デイトレード」の中毒になってしまったり。

先日の民主党の代表選を眺めながら、政権と政党政治もこの構造によく似ているものだ、と感じた。 政権を獲得しなければ政党は自身の政策を進めることができない。政党にとって、政権はなにより大切なのだ。政権あってこそ、政党は自由になれる。 しかし、政権を取るためには政策を「政権をとるためのもの」にする必要がでてくる。自由な政策を掲げられなくなるのだ。

この「気づき」から我々は何を学べるのだろうか。

「やはり、お金は大切である」

もちろんそれもそうだが、それよりも

「手段と目的について」自身の幸せの為に常に意識する、という事ではないだろうか。

例えばあなたが80才になり、資産を数千万円築いたとしよう。周りの誰よりも努力し、苦労もしたとする。その時に、もし「神様」なるものが現れ、「いかなる願いでも総資産の半分と交換する事で叶えよう」と言ったならばあなたは何をお願いするかである。

仕事を理由に行けなかった子供の運動会、参観日、家族旅行、やりたかった趣味

もしもそういったものが脳裏をよぎるとしたら、あなたは「お金の為に不自由になった人生」を送ってしまったた可能性が考えられるのではあるまいか。

これは「お金」だけに限った事ではない。我々は常に「目的と手段」を混在化してしまう傾向にあるのだ。

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