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「心と教育」の関係性

2014年08月04日 · コメント(0) · 学習、教育、子育て

猟奇的な事件が起きると、いつだってテレビや新聞、雑誌等のメディアは、その「原因論」として教育や家庭環境の問題を指摘します。

しかし、もしこうしたものが事件の一番の原因であるとするならば、それはもはや猟奇的とは言えず、再現可能な必然の事件です。

猟奇的とは、いかなる理屈をもってしても、その事件に至った原因論に説明がつかないものであり、

また、いかなる措置をとっていたとしても、原因が不明である以上、事件の発生を遅らせる程度のことしかできないのでは、と僕は思うのです。

では、「教育と心の問題」にはなんの関連性もないのかというと、もちろんそんなことはありません。

今日は、そんな「心の教育」について、大切だと思うことを話してみます。

結論から先に言うと、それは「二重拘束」とよばれるものです。

例えば、小さな子供がイタズラや失敗、ミスなどをしたとします。

するとお母さんは声をあらげて

「ごめんなさいは?」

と、子供に尋ねます。

そして、もしそんな場面で子供が黙っていようものなら、

「どうして、ごめんなさいが言えないの」

と、子供に怒るのです。

そして、またあるあとき子供がイタズラや失敗、ミスなどをしたとします。

子供は「やってしまった」と思いつつも、前回の経緯を踏まえて「ごめんなさい」とお母さんに言うでしょう。

すると、今度は

「ごめんなさい、って言えば済むと思っているのか」

と、結局「ごめんなさい」と言おうと言うまいと、子供はお母さんに怒られてしまうのです。

どんな子供にも、イタズラや失敗、ミスなんてものはつきものです。

結果、こうした親のもとにいる子供は常に不安におびえ、動けなくなってしまう可能性があるのです。

このように、「どうしてよいか分からない状態」に長期間さらされてしまうと、子供は成長するにつれ、少なからず精神に不調を来たしてしまうのです。

「二重拘束」の話をもう一つしてみます。

これもよくある話なのですが、

あるお母さんが「熱を出しました」と子供を病院へ連れていくと、

「こんなちょっとの熱ぐらいで、いちいち病院に連れてくるな

と先生に叱られてしまいました。

そして、また別の機会に子供が熱を出します。

今度はお母さんは先生の言いつけを守り、自宅で一生懸命、子供の看病にあたります。

しかし、熱はいっこうに下がらず、それどころか日増しに食欲も落ちてきました。

心配になったお母さんが子供を病院に連れて行くと、

「なんでもっと早く連れてこないんだ。肺炎を起こしかけているじゃないか。」

と、やはり叱られてしまいました。

結局、お母さんは子供が熱を出した際に、病院に連れて行こうと行くまいと先生から叱られてしまうのです。

こうしたことで「自分は子育てもろくに出来ないダメな親だ」と自分を責めてしまい、「もし、また子供が熱を出してしまったらどうしよう」と、強い不安に襲われてしまうお母さんが実際にいるのです。

・「自信と持て」といいながらも「自惚(うぬぼ)れるな」と説教をする。

・「嘘をつくな」といいながらも「空気を読め」と叱りつける。

誰でも、こうしたことを言われたり、言ってしまった経験はあるのではないでしょうか。

「自分の中では正論だが、ひょっとするとこれは二重拘束かもしれない」

教育をする立場にある人は、つねにこうした質問を自分自身に投げかけることが大切なのでは、

と、僕は考えているのです。

プラセボのレシピ : 精神科医 山下悠毅

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