プラセボのレシピ

プラセボのレシピ header image 2

緊張して、負けてしまいました。

2013年02月02日 · コメント(0) · 仕事, 学習、教育、子育て

試合でいつも「緊張」して力が出せず、負けてしまいます。

これも、僕が定期的にされる質問である。

今日は、この「緊張」について考えてみたいと思う。

たしかに、この「緊張」というものは、非常にやっかいである。

しかし、だからといって少し厳しい言い方かもしれないが

「緊張」を言い訳にする人というのは、結局のところ何をしてもうまくいかないのではないだろうか。

なぜなら、「緊張しないこと」を100%自分の力でコントロールすることは不可能だからである。

もし世の中に「絶対に緊張しない方法」なるものが有るなら、また話は別かもしれないが、もちろんそんなものは無いのである。

(もし本当にあるならば、それこそ学校で教えてもらえるはずなのだが、せいぜい「手のヒラに、人という文字を・・」ぐらいなのである)

であるならば、やはり「負けた理由」に緊張をあげても「意味がない」のである。

分かりにくい方に例をあげるなら

これは自分が負けた理由を「その日の天気」のせいにしているのとなんら変わりがないのである。

(誰も「その日の天気」はコントロールできない)

例えば、ある飲食店で

「雨の日は客足が伸びず売上げが半分になります」

こういった「報告だけ」をマネージャーがオーナーにあげていたらどうなるであろうか。

そう。もし連日の雨が続いたらならば、その店は潰れてしまうのである。

では、もしあなたがその店のマネージャーなりスタッフならどうすべきであろうか。

「雨の日でも客足が伸びるサービスを作る」

誰だってこうするに決まっているのである。

「雨の日には、次回使える割引券を配る」

「100円傘の無料提供を始める」

まあ様々だろうが、何かしらのそういった知恵と工夫を凝らすであろう。

であるならば、この「緊張」も同じように考えればよいのである。

例えば

格闘家が「緊張すると体が重くて動かなくなる」というのであれば

その選手は、「重り」の付いたベストでも着て試合前は練習するべきである。

卓球選手が「緊張すると汗で手がすべる」というならば

その選手は、練習中ラケットに「バター」でも塗って備えるべきなのである。

もちろん、これは「試合」だけの話ではない。

例えばスピーチの場面で

大役を仰せつかった○○ですが、私はこういう場は慣れておりませんで、少々緊張しております。よってお聞き苦しい点も有るかと思いますが・・

世の中には、手を震わせながら本当にこう、檀上で話す人がいるのである。

なぜ自身で「慣れていない」と分かっているならば

職場で、家族の前で、慣れるまで何回でも練習してこないのか、その意味が分からない。

「大役」と言いながらもその準備を完全に怠り、これはもう完全にバカにしているとしか思えないのである。

試合の場面に話をもどそう。

そう、つまりは試合で緊張するのが悪いのではない。
負けた理由を「緊張のせい」にするのが悪いのである。

もちろん「緊張」を負けた理由にあげるのはとても簡単である。

しかし、それではいつまでたっても「負け」の本質に目がいかないのである。

加えて、これは「負けた理由に緊張をあげる人」の多くが気づいていないことなのだが

対戦相手も、試合前は相当緊張していたはずなのである。

そもそも、大切な試合で「緊張しない人」の方が少ないであろう。

それこそ、多くのアスリートは「人生をかけて」勝負に臨んでいるのである。

北京オリンピックの100メートルの決勝でウサイン・ボルト選手はゴール手前で笑顔となり、両手を広げてゴールした。

解説者は「余裕ですね」とか「手を抜かなければ記録はもっと」などとコメントしていた。

しかし、僕はいまだに「そうではない」と考えている。

間違いなく、ボルト選手は誰よりも練習し、苦しみ、努力していたのである。

それこそ「これで勝てなければ、一生勝てない」という状態で本番に臨み

「誰よりも緊張していた」

そしてその緊張は、ゴール出前10メートルでようやく解け、思わずあのようなパフォーマンスに至ったのではないだろうか。

緊張しやすい人が「いかに緊張しないようにするか」を目指しても、意味がないのである。

そうではなく「いかに緊張していても勝てるように準備するか」

身も蓋も無い話かもしれないが、実はこれこそが「勝負の世界」においては最も大切なことなのでは

と、僕は考えているのである。

タグ :

コメント(0)

コメントを受け付けておりません。