プラセボのレシピ

プラセボのレシピ header image 1

彼の気持ちを取り戻す「ただ一つの方法」VOL.5

2019年02月15日 · 恋愛

平安時代の美人とは

「私、平安時代だったらモテモテだったのに」

なんて話す女性と、私はこれまで何人も会ったことがあります。

そうした際、私はいつも反応に困ってしまうのですが、歴史の教科書などを見る限り、当時は「おかめ顔」が美人の象徴だったようです。

これと似た話としては、昔のオランダでは「足の小さな女性が美人」という理由で、木靴を子供の頃から無理やり履かされたり、

また、どこぞの島では今でも「太っている女性こそが美人」という文化が残っていて、

その島の女性はとにかく必死で食べまくるそうです。(力士しかりプロレスラーしかり、減量より増量の方が遥かに過酷です)

おそらく、これらは全て、当時の権力者やカリスマ的な男性が

・おかめ顔
・足が小さい
・巨漢

こうした女性を「美人」と呼び、連れ添うことにステータス性を示したのでは、というのが私の持論です。

現代の美容整形の代表である、二重や豊胸手術、脂肪吸引やホワイトニングなども、

数世紀後には、木型の靴を履かされた少女と同じような存在となる可能性があるのです。

モテの極意とは何か

つまり、見る目の無い男を落とすには、「みんなが付き合いたい」と言われる女を目指せばいいのです。

「そんなの当たり前だろう」「それができないから困っている」などと思わるかもしれませんが、待ってください。

再三、書いてきた通り「男は見る目がない」のです。

つまり、(見る目がない)男に、「いい女」と思わせるのは「見た目ではない」ということです。

これまで書いてきた、典型的な「モテない女性」の像を思い返してください。

彼女達の戦略で誤っている点は多々ありましたが、最大の過ちは「ターゲット以外の男性からの評価を意識していない」というところにあるのです。

職場しかり学校しかり、モテたければ、本命以外の男性からも「いい子」とか「かわいい」と言われることが欠かせないのです。

「だから、それが難しいんだよ」と、またまた言われてしまいそうですが、私だって言いたいです。

「だから、男は見る目がないんだって」と。

次回もまた、この続きを書いてみたいと思います。

→ コメント(0)タグ :

彼の気持ちを取り戻す「ただ一つの方法」VOL.4

2019年02月12日 · 恋愛

人はいつだって、

「手中に収められそうで、ギリギリ収められない物」

に対して「欲しい」と強く感じる。

そして、この枠に入れない限り、女性は男性から「恋愛対象」として価値や興味を持たれない。

では、どうしたらこの「枠」に入ることができるのか。
今日は、この続きから書いていきます。

※ 参照:彼の気持ちを取り戻す「ただ一つの方法」VOL.1 http://www.0004s.com/app-def/S-102/blog/2018/08/20/%E5%BD%BC%E3%81%AE%E6%B0%97%E6%8C%81%E3%81%A1%E3%82%92%E5%8F%96%E3%82%8A%E6%88%BB%E3%81%99%E3%80%8C%E3%81%9F%E3%81%A0%E4%B8%80%E3%81%A4%E3%81%AE%E6%96%B9%E6%B3%95%E3%80%8Dvol-1/

今日は、男の本質を話します。

男女の違いについては、様々な媒体で様々なことが書かれていますが、

私が思う最大の違いとは、「男はとにかく見る目がない」ということです。

・ブランドキメキメ「ドーダ君」
・秋葉系バンダナ「リュック君」
・秋でもタンクトップ「ナルシス君」

他にも、とんでもない高級なイタリア車を乗ってみたり、アニメのプリント塗装したいわゆるイタ車(「痛い車」)を誇らしげに乗ってみたりと、女性には理解に苦しむ男性は少なくありません。

ヤンキーファッションしかり、男のセカンドバッグしかり、彼らは、たとえ女性からなんと言われようと自身の信念を貫くのです。

ここで「信念を貫く」なんて書くと「男らしさ」なるものが見え隠れするのですが、その本質は「自分の属する同性からの評価が全て」というお粗末なものに過ぎないのです。

つまり「いかに周囲の男性からの称賛や羨望が得られるか」、ただそれだけがあらゆる男の選択の軸となるのです。

お金持ち同士がつるめば、そのグループ内において、「すげー」だの「いいなー」と言われそうな、ゴツゴツな高級時計が「欲しい時計」「身に着けたい時計」になります。

マッチョ同士がつるめば、これも同様で「すげー」だの「いいなー」と言われるであろう肉体を目指すのです。

もちろん、こうした習性は男である私の中にもたくさん存在し、「周囲の男性からの評価」にはいつだって敏感です。

(ただし中には「いかに評価を気にしないよう振舞うか」という軸で周囲の評価を得ようとする男性もいます。)

そして、これは女性を選ぶ時の選択基準にも当てはまり「いかに他の男から羨ましがられるか」といった点が重視されてしまうのです。

では、そんな存在になるためにはどうしたらよいのか。

次回もこの続きを書いてみたいと思います。

→ コメント(0)タグ :

「ギャンブル依存症」が薬で治るかもしれない

2019年02月08日 · 依存症

アルコール依存症治療薬であるセリンクロ(ナルメフェン)が、ギャンブル依存症(病的賭博)にも有効であった論文を紹介します。

今春、本邦でも発売となる本剤があれば、薬物療法のみでのギャンブル依存症の治療ができるようになるかもしれません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【背景/目的】

病的賭博に対するナルメフェン25、50、100mg/日の、有効性と忍容性を検討した。

【方法】

病的賭博患者207例(男性117例、女性90例)を対象に、16週に渡る多施設共同プラセボ対照二重盲検試験を行った。

主要評価項目はYale‐Brown強迫尺度とし、その下位項目とおよびGambling Symptom Assessment Scale、臨床全般印象度(CGI)‐改善度を副次評価項目とした。

【結果】

ナルメフェン25mg/日大群52例、同50mg/day群52例、同100mg/day群52例、プラセボ群51例で、

Yale‐Brown強迫尺度Pathological Gambling総スコアに有意な群間差を認めた。

回帰係数推定の一対検定では、ナルメフェン25mg/day群と同50mg/day群ではプラセボと比較し有意差を認めた。

Gambilng Symptom Scaleでもナルメフェン群で優れた効果を認め、CGI改善度スコアによる奏効例[2(大きく改善)、または1(きわめて大きく改善)]の割合はナルメフェン25mg/day群でプラセボと比べて有意差を認めた。

有害事象としては、悪心、浮動性のめまい、不眠を認めた。

【結論】

低用量(25mg/日)のナルメフェンは病的賭博に対して有効であり、有害事象も少なかった。

【参照論文】
American Journal of Psychiatry

ulticenter Investigation of the Opioid Antagonist
Nalmefene in the Treatment of Pathological Gambling

Jon E. Grant, J.D., M.D.
Marc N. Potenza, M.D., Ph.D.
Eric Hollander, M.D.
Renee Cunningham-Williams,
Ph.D., M.P.E., L.C.S.W.
Tommi Nurminen, M.Sc.
Gerard Smits, Ph.D.
Antero Kallio, M.D., Ph.D.

コメントは受け付けていません。タグ :

「守・破・離」から考える人間の本質

2019年01月25日 · 学習、教育、子育て

古くから、武芸や武道の世界では師弟関係のあり方として「守・破・離」と呼ばれるものがあります。

まずは師の教えを徹底して守ることで型を身に着け(守)

次いでその型を自身の身体と照らし合わせながら改良し(破)

最後は自らが創造した価値観のもと型から離れる(離)

この「守・破・離」という言葉は、千利休の教えをまとめた「利休道歌」が由来のようですが、

現在では茶道や武道の世界だけでなく。教育やビジネスの場面でも活用されています。

「型があるから型破り、型が無ければ形なし」 

これは僧侶の無着成恭さんの言葉なのですが、これこそが芸道の本質なのかもしれません。

しかし、今一度、この「守・破・離」という言葉を眺めると、私にはとある疑問が沸き起こるのです。

まずは型を学び(守)、そこから自身に合わせた改良(破)を加える。

ここまでは、私もその通りだと思います。

しかし、もはや原型をとどめないほど破られた「破」もありえる中、なぜ、あえて「破」の先に「離」という概念を創る必要があったのか。

おそらく、そこには「離」を創らざるを得ない何かしらの事情が存在したはずなのです。

これは私の独断的な考えですが、「守・破・離」の「離」の対象は、「型」ではなく「師匠」だと思うのです。

なぜなら武芸や武道の世界では、弟子が一流になればなるほど多くの師匠は嫉妬をするからです。

ある時は「型にはまるな」と説教をし、またある時は「型を大切にしろ」と説教をする。

嫉妬の塊となった師匠は、こうして弟子を支配しようとするのです。

人間の嫉妬心ほどたちの悪いものはありません。

なぜなら、嫉妬をしている本人も、自身の気持ちに気がついていないからです。

そして、これは師匠の人格が未熟だからなのではなく、それこそが人間の特性なのです。

残念ながら、たとえ始めは尊敬できる師匠であったとしても、弟子がその相手を生涯に渡って尊敬できるかどうかの保障はないのです。

そのため過去の一流の武芸者や武道家は、「守・破・離」という概念を発明することで、上手に師匠との距離を取っていたのだと思うのです。

プラセボのレシピ:第358話

(毒親の心理も「娘の若さや可能性に対する嫉み」が基盤であるため、必要となるのは「離」という概念なのかもしれません。)

コメントは受け付けていません。タグ :

武道の達人に習う、コミュニケーションの達人術

2019年01月09日 · 人生

「コミュ力とは、結局どういったものなのでしょうか」

先日、こんな質問を受ける機会がありました。

そこで本日は、コミュ二ケーションの本質について考えてみたいと思います。

話は代わりますが、私は長らく極真空手という武道にたずさわっており、

これまで、何人もの達人と呼ばれる方と触れ合う機会ありました。

彼らの最も特筆すべき点を一つ挙げるとするならば、

それは「彼らは誰とでも組み手ができる」ということなのです。

中学生や小学生、はたまた女性や高齢者であっても、相手を怪我させることなく、お互いの技術が向上する機会を作れるのです。

こうした話は「百聞は一見にしかず」であるため、なかなか言語化しにくいののですが、

これは、単なる手加減とは全く次元の異なる話なのです。

彼らは、相手の動きを丁寧に観察した上で、

相手と同じレベルで攻撃を繰り出し、
(スピードや威力、フォームなど)

相手と同じレベルで防御するのです。
(打たれ弱さや、間合い操作など)

そう、達人はいつだって自身のチャンネルを相手とチューニングすることができるのです。

そして、こうした彼らの価値観や態度から、私達はコミュニケーションの本質について学ぶことができるのです。

何が言いたいのかと言うと、他者との円滑なコミュニケーションを取るためには、

対象者の知識や経験、知的レベルを観察し、自身のチャンネルを相手にチューニングすることが欠かせないのです。

「知識ある者は、常に理解されるよう努力する責任がある」

これはピーター・ドラッカーの言葉ですが、この言葉もまた同じことを指し示しています。

「相手の理解が悪くて困る」と悩まれている方は少なくありません。

しかし、そうした方に必要なことは、

まずは相手を丁寧に観察し、相手の高さまで階段を下りてあげる配慮だと言えるのです。

プラセボのレシピ:第357話

参考文献:仕事で必要な「本当のコミュニケーション能力」はどうすれば身につくのか 安達裕哉 著

コメントは受け付けていません。タグ :

続「魔法の言葉」

2019年01月03日 · 依存症

私は仕事柄、様々な方から転職の相談を受けるのですが、

そうした場面では決まって
「年収に惑わされないようにしてください」
とお伝えするようにしています。

なぜなら転職をするにあたって、もしも「賃金」がその人にとって重要な軸であったなら、

大切なのは、
「初任給ではなく生涯賃金」
だからです。

具体的には、

・その業界は上り坂なのか、下り坂なのか
・そこで身につくスキルはどんなものなのか
・副業はできるのか、できないのか

といった具合です。

そして、こうした考え方は、ギャンブル依存症の治療(援助者の関わり)でも当てはまるのです。

なぜなら、依存症という病気には「治癒」という概念がないため、生涯かけて取り組む必要があるからです。

つまり、ギャンブル依存症の治療で大切なことは、

「目の前の再発を防ぐこと」
ではなく、

「生涯におけるギャンブルの回数を最小化」
することなのです。

たしかに、援助者が徹底的に監視することで、「最初の一年」の再発率を大幅に下げることができるでしょう。

しかし、「一生、誰かに監視され続ける人生」に耐えられる人などいるはずもありません。

そうした仕組みは必ず破綻してしまい、やがて再発へと繋がるのです。

すると、援助してきた人達は、無力感や被害者意識などもあいまって、

お説教をしたあげく監視を強化するか、
「約束通り」と、見捨ててしまうのです。

もちろん、本人だってそうなることは分かっています。

結果、
「取り返えさなくては大変なことになる」
と、いった考えのもと
(こうした「思考形式」も病気の症状です)

再発はどんどんとエスカレートしていき、
「首が回らなくなって発覚」
という結末はパターンなのです。

繰り返しになりますが、依存症という病気に「治癒」という概念はありません。

そのため、治療はどうしたって、
「本人がやりたくても出来ない仕組み」
を援助者の力を借りながら作ることが欠かせません。

しかし、それ以上に大切なことは、

もしも患者さんが再びギャンブルに手を染めてしまった際に、

すぐさま援助者にその事実を告白することで、再発の連鎖を断ち切ることであり、

そのためには援助者が患者さんから、
「この人には、安心して再発を告白できる」
と認識されていることが、欠かせないのです。

プラセボのレシピ:第356話

コメントは受け付けていません。タグ :

ギャンブル依存症を救う「魔法の言葉」

2018年12月15日 · 依存症

「本人への接し方を教えてください」

先日、ギャンブル依存症の患者さんの家族の方から、こんな質問を受ける機会がありました。

ギャンブル依存症では、周囲の方が本人へ、

「二度とやるなよ」
「次やったら、分かっているだろうな」

なんて言葉を日常的にかけてしまうことが少なくありません。

しかし、こうした対応は、本人の回復においてむしろ妨げになるのです。

なぜなら当の本人も「そんなことは百も承知」しているからです。

これは、ダイエットしかり英語の勉強しかり、自分でも「やった方が良い」と分かっている事柄に対し、

「なんで、やらないんだ」

と人から言われると、ますますやる気が失せてしまう構図と同じであり、

そうした声がけは、本人のギャンブルへの渇望を刺激するだけなのです。

そもそもギャンブル依存症が恐ろしい理由は、大量の借金による生活や人間関係の破綻です。

つまり、仮に「病気」が再燃してしまいギャンブルをしたとしても、

「たった一度だけ」なら大事には至らないのです。
(せいぜい数万円の損失です。)

しかし、日ごろから周囲の方が

「まさか、してないだろうな」
「あなたのせいで、うちの家計は」

などと話していると、

本人がうっかりギャンブルをしてしまった際、

「家族にバレたら大変なことになる」
「早く負けを取り戻さないと」

といった思いから、行動はどんどん加速し、

「クビが回らなくなったタイミングで家族に発覚する」

といったケースはパターンなのです。

これは私からのお願いですが、

依存症の患者さんをサポートする方は、患者さんに確認や念押しをするのではなく、

「この病気は再発が多いらしいので、もしやってしまったら怒らないので必ず教えてね」
「その時は私も主治医の所に付き合うからね」

と伝え、あとは見守るだけの役割りに徹して頂きたいのです。

プラセボのレシピ:第355話

コメントは受け付けていません。タグ :

行為依存症とは、PTSDである!?

2018年12月11日 · 依存症

今日は、痴漢や盗撮、ギャンブル依存症などに代表される「行為依存症」の原因について書いてみたいと思います。

結論から言うと行為依存症の原因はビギナーズラックです。
「最初にドカンと当たったから」ただそれだけなのです。

私はこれまで「競馬は止められないけど、競艇(競輪)は止めている」なんて方にたくさん会ってきました。

そこで「なぜ競艇は止められたのでしょう」と尋ねると、誰もが「競艇はつまらなかったから」と話されるのです。

しかし、ギャンブルにおいて「つまらなかった」なんて理由は有って無いようなもので、ようはそれで「勝てなかった」だけなのです。

つまり、誰だって(それこそ依存症になってしまった方であっても)、もし初回のレースで数万円負け、二回目でも数万円負けていたなら、

「ギャンブルなんてくだらない」「二度とするもんか」という価値観になるわけです。

しかし、不幸にも「初回で」または「大きく負ける前に」ドカンと当たってしまうと人はその記憶に縛られ、

「○○にお金を賭ける」といった行為が、人生のあらゆる行為より価値を帯びてしまうのです。

もちろん、ビギナーズラックを当てたからといって、全ての方が依存症になるわけではありません。

しかし、突然「悲惨な体験」を被ることでPTSDを発症されてしまう方がいる様に、

突然「大きな当たり」を体験することで、ギャンブル依存症を発症し、「お金を賭ける」という行為に病的に囚われてしまう方がいるのです。

恥ずかしながら私自身、精神科医になってしばらくの間は「行為依存症」という病気について、その存在すら知りませんでした。

しかし、よくよく考えてみると、これとよく似た現象は、私たちの身の回りでも起きているのです。

「昔は〇〇が嫌いだったけど、××をきっかけに〇〇が大好きになった」なんて話がその典型で、

「キュウリが大の苦手で、匂いすら耐えられない」なんて方が、たまたま棒棒鶏(バンバンジー)を食べ「美味しい」と感じると、その後は棒棒鶏はもちろん、キュウリという野菜自体をも「美味しい」と感じるようになったり、

あとは、「ミスチルの良さが分からない」なんて方が、同僚がカラオケでミスチルを歌った際に「あれ、この曲すごくいい」なんて感じると、「それを機にミスチルの大ファンになってしまった」、

こうした話はいたる所にあるのです。

ネガティブな価値観が突然ポジティブな方向へと大きく揺れ動かされると、

私達の脳内には、消去することが極めて困難な「依存症回路」なるものが形成されてしまうのです。

プラセボのレシピ:第354話

コメントは受け付けていません。タグ :

痴漢の「認知のゆがみ」は嘘である ?

2018年11月19日 · 依存症

私の外来には、

「痴漢を繰り返したため刑務所に入り、出所後に家族の勧めで来院した」

といった方が日常的に訪れます。

彼らが「家族の勧めで」とあえて述べる理由は、

・自分としては治療の必要性は無いと思う
・やっと釈放となった矢先に通院なんて面倒

といった気持ちの表れなのですが、

そこで私が

「再犯を繰り返してきたのに、なぜ治療が不要と思うのですか」

と尋ねるとほとんどのケースで、

・刑務所内で依存症の治療プログラムを受けたため、もう治療は十分である。
・自分が痴漢をしてきた理由は「認知のゆがみ」を抱えていたことが分かった。
・過去の自分は「世の中には触られたい女性がいる」というゆがんだ認知を抱えていた。
・今は「それが間違いであり、そんな女性はいない」と理解している
・二度と痴漢はしないし、今後は〇〇の仕事につき、××な人生を送るつもりである。

といった答えが返ってくるのです。

もちろん彼らの「もう痴漢はしない」という訴えが本音であることは、ひしひしと伝わってきます。

それは、激しい二日酔いのさなかに「今夜は飲むぞ」と考える人がいないように、

やっと刑務所から出たさなかで「また痴漢をしたい」と考える人もまたいないからです。

しかし、自身が痴漢を繰り返してきた理由について、

「『世の中には触られたい女性がいる』というゆがんだ認知(誤解)が原因だった」

と考えている限り、彼らの再犯リスクは極めて高いままなのです。

なぜなら私の外来には、

「刑務所内で認知のゆがみを修正したにも関わらず、再犯してしまった」

といった方もたくさん訪れるからです。

痴漢を繰り返してきた方が、自身の問題行動の心理背景について、

「『痴漢されたい女性もいる』という認知が原因であった」

と考えていることは、

パチンコ依存症の人が、借金を繰り返してまでパチンコが止められなかった理由について、

「『パチンコで勝ち続けられる人もいる』と誤解していたから」

と自己分析するのと同じくらい的外れなものであり、再犯や再発の予防には全く役立たないのです。

(真相はともかくとして、世の中に「痴漢されたい女性」や「パチンコで勝ち続ける人」がいたならば、彼らの認知はゆがんでいないからです)

事実、そんな場面で私が、

「でも、SM好きな人がいるように、触られたい女性だっているかもしれませんよ」
「ネットの掲示板には、痴漢願望を抱えた女性の書き込みもあるようですよ」

などと言うと、とたんに彼らは、

「やっぱりそうですよね」
「先生もそう思われますか」

などと話すのです。

これこそが「否認」と呼ばれている依存症の主症状なのですが(自分が自分についてしまっている嘘に気がつけない)、この点について彼らに非はないと思うのです。

なぜならこうした否認は、性依存症について無知な治療者から、無効な治療(認知行動療法)を受けた結果として育まれたものだからです。

では、有効な(再犯を防ぐ)治療とはどんなものなのか。

それは彼らが思い込んでいる「触られたい女性もいる」といった認知を正そうとするのではなく、

(患者さんの中には、「若い頃に痴漢した相手と、その後、交際した」と話す人もいます)

「もし、そうした女性がいたとしても、触られたい相手は『あなた』なのか」
「いたとしたなら、失敗せずにその女性を選別することができるのか」

こうした質問をしていくことで、患者さんの否認を壊していくのです。

加えて、自身を魅力的と思っていたり、そうした選球眼なるものを備えていると考えている人に対しては、

「痴漢されたい女性であっても、触られた後に『痴漢です』と声をあげることで多額の示談金を手にできるのであれば、

少なくとも私がその女性であったなら声をあげると思うのだが、それについてどう思うか」

こうした質問をすることで、自身が痴漢をやりつづけていた理由について、

「触られたい女性がいると誤解していたからではなく、あなたが知らない行為依存症という病の可能性がある」

と伝えていくことが大切なのです。

プラセボのレシピ:第353話

※ 依存症の治療は言葉にするのが難しく、またこれといった教科書などもありません。当事者やその家族はもちろんのこと、治療者すらも困っているのが現実です。このブログはそんな方々に向けて「少しでも力になれれば」といった思いから、日々の臨床での知見や気づきを書いています。

コメントは受け付けていません。タグ :

「シャブ山シャブ子」は意志が弱いのか ?

2018年11月13日 · 依存症

モルヒネという物質をご存知でしょうか。

モルヒネは、薬剤としてはとても強力な鎮痛・鎮静作用があり、ガンなどの疼痛緩和医療において非常に有効である一方で、

強い依存性を持つために、世界各国で法律によって扱いが厳しく規制されている麻薬でもあります。

しかし、驚くべきことに、薬の教科書には以下のようなことは書かれているのです。

「麻薬を医療目的で適正に使用したならば、依存症や錯乱などの副作用は問題にならないことを患者に説明する」
(今日の治療薬2017:南江堂)

ここで言う医療目的とは「ガンの痛み」だけでなく、「骨折」や「重度の喘息発作」のことを指すのでが、なぜ医療目的であれば「依存症にならない」と明記されているのか。

それは、適切な医療によって骨折が治癒したり喘息発作が治まれば、一人で麻薬を用いているよりも、家族や友人・恋人などと過ごす方が楽しいからです。

しかし、その一方で「体ではなく心に強い痛みを抱えた人」が用いると、その痛みが取れない限り、モルヒネは「心の痛み止め」として継続使用されることとなり、端から見ると依存しているように映るのです。

参照:ねずみと覚せい剤のお話

もちろん、話はそんな単純なものだけではありません。

実際に麻薬でも覚せい剤でも、継続使用することによって脳内の報酬系が刺激され、コーヒーやアルコールのように「痛みがなくても欲しい」という状態になるのかもしれません。

しかし、少なくとも私が診察室で診てきた薬物依存主の患者さんたちは、誰もが「生き辛さ」を抱えた方たちばかりであり、

回復された(薬物を再使用することなく社会生活を送れるようになった)方たちは、ご自身の「生き辛さ」に対して、何かしらの解決策がとられてきた方たちなのです。

薬物依存症とはその薬物を意志が弱いから使っているのではなく、心の痛み止めとして手放せなくなっている状態であることを一人でも多くの方に理解して頂きたいのです。

参考書籍:薬物依存症 ちくま新書 松本俊彦著

プラセボのレシピ:第352話

コメントは受け付けていません。タグ :